皆さん、あけましておめでとうございます。今年は、ブログ復活の年にしたいと願っています。頻繁には投稿できないと思いますが、ワンアイディアで書き連ねていこうと思います。どうぞ、よろしくお願いします。
さて、少し前になりますが、Lifehacking.jpの記事「「不幸せな気持ち」でもいいじゃないかを」読んで、いろいろな考えが湧いてきたので、エントリーにしてみようと思います。
「・・・という気持ちになる」ということ、つまり『感情』について、日頃から思うことは、以下のようなことです。
喜怒哀楽自体には善し悪しはありません。同じ状況でも、他の人と違う感情を持つことがあります。また、「雨 = 嬉しい」という人(たとえば農家の人)もいますし、「雨 = 悲しい」という人(明日遠足の人)もいます。これは、「雨が降って欲しい」とか「明日晴れて欲しい」という考えがあるから、感情に差ができるのではないかと思うのです。
上に記したことは、受け売りも含みますが、基本的には私の経験に基づく考え方です。せっかくなので、上記の3をもう少し掘り下げてみます。
まずは わかりやすい例を挙げます。日本では、一般的に人の死という出来事は、悲しみの感情を持つことが多いと思います。しかし、少しおめでたい、少し嬉しい気持ちになるお葬式があることも確かです。たとえば、100歳に近いような方が亡くなった場合には、「天寿を全うした」や「よくこの年まで生きられた」という考えがベースにあるので、明るい雰囲気のお葬式になるのではないかと思います。実際、私が参列したお葬式の中で、母方の祖母のお葬式は、正にそのような感じでした。
つまり、『出来事』と『感情』の間には、それぞれの人の『考え』や、広く捉えると、文化、環境、時代背景などが介在しているのではないかと思うわけです。
このように、『出来事』『考え』『感情』をきちんと切り離して認識している場合は、特に問題はないと思います。しかし、「死 = 悲しい」とか「不況 = 悪い」というように、出来事と感情が直結して一元的な見方しかできなくなったとしたら、つまり、冷静な判断ができない状況になると、いいことではないと思います。
Lifehacking.jpの記事「「不幸せな気持ち」でもいいじゃないかを」に通じることですが、溢れてくる感情(「思い」と言い換えてもいいでしょう)を、真正面からきちんと観ること、これが大切なことに思えます。
何か感情を持った場合、そんな感情に善し悪しの判断を与えず、そんな感情を抱えている自分をきちんと受け止めること。それが大切なことに思えて仕方がないのです。
ポジティブな感情を持ったときは問題にはなりにくいと思います。ネガティブな感情の場合は、そんな自分が嫌になったりすることもあるのではないかと思います。しかし、ネガティブな感情を持つこと自体悪いことでもいいことでもない。そういう認識を持てれば、ネガティブをポジティブに変える原動力になる気がします。
Lifehacking.jpの記事が引用している元記事"It's Okay to be Unhappy"の最後に書かれている部分にぐっときました。下手な訳ですが、「あなたがいかなる場合でも、あなた自身の今の状態を尊重してください。それを無視したり、あるいはそれを回避しないでください。そして、その状態が、いつもの状態でないことを自覚していてください。」
自分を受け止めること、即ち自己受容こそが、次の一歩を踏み出す原動力になると、私は信じています。
p.s.
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